慶州明活城
慶州の明活山頂上に築かれた新羅時代の山城で、周囲約6キロメートルに及ぶ大規模な防御施設です。405年の倭軍攻撃の記録が残っており、それ以前に築城されたと推定され、新羅の都である金城を守る重要な要塞でした。544年と593年に二度拡張され、善徳女王の時代には毗曇の乱の舞台となりました。現在は城壁の大部分が崩れて一部のみが残っており、真興王時代の明活山城作成碑が発見されて当時の状況を物語っています。
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